The Conflicts in Ireland Historical Notes by Masahiro Yamazaki (Japanese Edition)

イスラム原理主義勢力が「テロリスト」の代名詞となる以前の、1960〜80年代において、ヨーロッパ人にとって最も危険な「テロリスト」と見なされていたのは、社会主義革命を標榜する左派系の過激派集団だった。その中でも、ドイツの「バーデル＝マインホフ団」やイタリアの「赤い旅団」と並び、その情け容赦のない実行力で悪名を轟かせていたのが、アイルランドに拠点を置く「アイルランド共和国軍（ＩＲＡ）」である。

ヨーロッパの北西端に位置するアイルランドが、宗主国であるイギリスからの独立を正式に勝ち取ったのは、第二次大戦終結から4年が経過した1949年のことだった。しかし、彼らが国土として領有できたのは、大ブリテン島の西側に浮かぶアイルランド島の約6分の5だけで、残りの6分の1は「北アイルランド」としてイギリスの統治下に残された。これを不満とするアイルランドの民族派は、全島を統一してこそアイルランドの真の独立は達成されると考えて、北アイルランドの併合を目指す武力闘争を開始した。

この武力闘争で急先鋒を務めたのが「ＩＲＡ暫定派」と呼ばれる闘士たちだったのである。

だが、北アイルランドがイギリス領として残されたのには理由があった。市民のほとんどがカトリック教徒であるアイルランドの他の地域とは異なり、北アイルランドの多数派はイギリスと同じプロテスタントであり、彼らはカトリック国アイルランドへの併合を望んでいなかった。また、北アイルランドには繊維工業や造船の生産拠点がいくつも存在しており（豪華客船タイタニック号もここで建造された）、第二次大戦中に重要な役割を果たしたベルファスト軍港があるのもこの地域だった。

正式国名の「大ブリテンおよび北アイルランド連合王国」という名称が示す通り、イギリスはあくまで北アイルランドを自国の「本土」として保持する意志を固めていたのである。

そして、この紛争の構図をさらに複雑化する役割を果たしたのが、東西冷戦期における東の超大国ソ連からＩＲＡへの非公式な軍事援助だった。素朴な愛郷心に端を発した紛争は、いつしか宗教対立を背景とするテロ闘争へと発展し、ＩＲＡは東西冷戦の構図の中で、西側諸国の弱体化を狙うソ連および共産勢力の「手駒」として利用されるようになっていったのである。

南北アイルランドの統一を、当初の活動目標に掲げていたはずの民族主義集団ＩＲＡ。彼らは、いかにして結成され、どのような経緯を経て、左派のテロリスト集団へと変質していったのだろうか。そして、彼らの存在と活動は、南北アイルランドに住む人々にとって、どのような意味を持っていたのだろうか。

本書は、イギリスの隣国アイルランドが歩んだ苦難の歴史と、その過酷な境遇から生まれた武装集団ＩＲＡによる武力闘争の足跡を、わかりやすく解説した記事です。2003年5月、学研パブリッシングの雑誌『歴史群像』第59号（2003年6月号）の記事として、B5判11ページで発表されました。

カトリックとプロテスタントの宗教対立、理想を実現する非常手段としての「テロ」、貧困や少数者への差別的境遇がもたらす「テロ組織」への期待や共感、組織の変質によるテロという手段の「目的化」、周辺大国の政治的思惑など、現在の世界を覆う難問となっているイスラム原理主義勢力の「テロ闘争」の図式とも重なり合う部分が多く、現在の世界情勢を読み解くヒントの一つとして、参考にしていただければ幸いです。


《目次（見出しリスト）》

◆二十世紀後半の欧州を震撼させたテロ組織

《アイルランド紛争前史》
◆ケルト人の渡来
◆イギリスによる支配の始まり
◆反英ナショナリズムの高まり

《アイルランド独立への動き》
◆アルスターを巡る対立
◆イースター蜂起と対英テロ闘争
◆イギリス政府との条約締結

《アイルランド共和国の誕生》
◆アイルランド内戦の勃発
◆「自由国」か「共和国」か
◆戦いをやめないＩＲＡ

《アイルランド紛争の再燃》
◆アルスター六州の宗教対立
◆「ＩＲＡ暫定派」の登場
◆ソ連の思惑と武器援助
◆対話と共存の時代へ